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東京地方裁判所 昭和33年(ワ)4816号 判決

東京銀行

事実

原告荘乃忠は請求原因として、原告は数年前から香港の商社を相手として手広く貿易商を営んでおり、昭和二十八年四月以来被告銀行日比谷支店に当座預金の口座を設置していたところ、昭和三十三年五月十四日訴外佐藤商事株式会社に対し額面金一万五千八百四十円の小切手を振り出して同会社に商品見本代金として交付した。同会社は同日右小切手を大和銀行銀座支店に依頼して東京手形交換所を通じ被告銀行日比谷支店に呈示したところ、原告の預金残高金二十万七千円があるに拘らず取引なしとの理由で同小切手を不渡処分にした。一体、信用を生命とする商人間において小切手を振り出しながら支払銀行との間に取引なしとの理由で支払を拒絶されることは殆んど一生回復し難い致命的な信用失墜であり、商人の最も恥辱とするところである。それだけに被告銀行としては、不渡処分、特に取引なしとの理由で不渡処分をなすには業務上十二分の注意を用いる義務があるに拘らず、昭和二十八年来取引があり殊に本件の起る十日前に二十万円の当座預金もしてあるに拘らず、不注意にも被告銀行日比谷支店長代理小倉正平は届出の署名を見誤り、原告を取引なしと速断し不渡処分をしたのは重大なる過失である。唯幸い不渡を宣せられた日に原告は東京に居り、速かに買戻の処置をすることができたが、それでも日本有数の大銀行でありそれだけ信用も大きい被告銀行から取引なしとの理由で一旦不渡を宣せられたことによつて、小切手所持人である佐藤商事株式会社は勿論大和銀行その他佐藤商事株式会社からこのことを聞いた原告の商取引仲間に対し著しく原告の名誉と信用を失堕せしめ、延いて精神的に莫大な打撃を蒙らせたばかりでなく、同会社から当時詰問を受け驚いて被告銀行に出頭し買戻をなし、同会社に事情を説明して諒解を受けるまでの間に原告の蒙つた精神的苦痛は甚大なものがある。よつて原告は被告に対し民法第七百十五条に基き、被用者がその過失に基き原告に対して加えた損害につき、使用者としての責任を追求するため被告は原告に対し東京都において発行する朝日、読売、毎日、東京、産経の各新聞に五号活字で謝罪広告の掲載をすることを求める、と主張した。

被告東京銀行は抗弁として、原告は有楽町スバル街にオパールという商号で喫茶店を経営しているものであるが、原告と被告銀行日比谷支店との当座預金取引は活発な預金の動きもなく担当係員にはなじみの薄い口座であつたところ、昭和三十年五月十五日佐藤商事株式会社の裏書ある原告振出の小切手が訴外大和銀行銀座支店を持出銀行として手形交換により被告銀行日比谷支店に呈示された、しかして右小切手の振出人署名は荘R. C. Tsongとあつたので窓口係員は該署名に該当する当座預金口座索引及び見出を検出したが発見されなかつたため、該小切手に取引なしとの支払拒絶文言を付し交換所を経由して右小切手を大和銀行銀座支店に返還したのである。ところが翌日原告が被告銀行日比谷支店に出頭し前記小切手の不渡理由につき尋ねられたので係員が調査したところ、原告の署名カードの索引及び見出は原告の英字名Tsong Nal Chungとなつているのみで、小切手の署名のように漢字混りの荘R. C. Tsongとなつていないので該署名のような口座はないと信じて支払拒絶をなしたことが判明した。そこで預金課長の小倉は原告に対し手違につき申訳なしと陳謝したところ、原告はこれを諒承し小切手の渡先である佐藤商事株式会社に対して充分説明してほしいとのことであつたので、小倉は同社の佐々木常務を電話で呼んだが不在であつたため、計理担当の山田に電話で小切手の不渡は被告銀行の手違で、原告とは取引預金残高があること及び直ちに不渡撤回の手続をなして原告にも佐藤商事株式会社にも迷惑を掛けないことを述べて陳謝したところ、同会社も事情を了解した。又他方、小切手の持出銀行たる大和銀行銀座支店に対しても直ちに電話で右事情を説明して被告銀行の手違を詑び、不渡報告の手続を執らないよう依頼し、同店も右手続をとらないことに同意したので、その旨を原告に伝えて陳謝したところ、原告に日比谷支店の右措置に満足し、更に小切手帳一冊の交付を求めて帰つたのである。その際小倉において、当時大和銀行銀座支店に留めてあつた本件小切手を被告銀行で買戻手続をとろうと申し出たところ、原告は自分の手で買戻すからその心配には及ばないといつて引き取つたのである。右のような次第で、本件は昭和三十三年五月十六日原被告間に円満解決し、原告は損害賠償請求権を放棄したものである。仮りに放棄しなかつたとしても、前記のように被告はあらゆる方法を以て原告の信用回復の措置を講じたのであるから、原告の求める信用名誉の回復は履行済であつて、本訴請求は失当というべきである。仮りに右主張が理由がないとしても、本訴請求は原告が蒙つた損害の範囲を超えた過大な要求である。凡そ新聞紙上に広告して名誉信用の回復を求めるためには、少くとも不特定多数人が名誉信用毀損の事実を知つたことを必要とするところ、本件は不特定多数人には何ら関係のない行為であつて、被告が前述のように本件小切手に関する特定人に対してなした陳謝の行為をなすまでに原告の要した費用の賠償を求めるならば格別原告請求のような五大新聞に謝罪広告をなさしめようとすることは、被告銀行に対し屈辱的行為を強いるものであつて、被告銀行の容認できないところである。原告主張のように小切手金は一万五千八百四十円であつて、これが全部損害であるとしても、本件請求の広告代金は数十万円ないし百万円にも達するもので、損害に比して被告の負担は余りにも過大に過ぎるものというべく、又、特定人の間においてのみ知れたる行為を更に特定的多数人に知らせる新聞広告を求めるということは、信用を生命とする銀行に対し致命的打撃を与えようとの目的に出るものであつて、被告銀行に対する一種の強迫行為というにほかならない。刑事罰の軽重が犯則行為の内容に比例するように、民事罰ともいうべき不法行為上の損害賠償の範囲も不法行為の内容に相応するものでなければならない。然るに原告は、名誉毀損の原状回復を図るために範囲を超えて五大新聞に広告すべきことを請求しているが、これは明らかに過大な要求として失当である、と主張して争つた。

理由

証拠を綜合すれば、原告は昭和二十八年四月以来被告銀行日比谷支店に当座預金の口座を設置しており、昭和三十三年五月十四日金属洋食器その他雑貨類の販売を業とする訴外佐藤商事株式会社に対し額面金一万五千八百四十円の原告主張のような小切手を振り出し、同会社に商品見本代金として交付した。同会社は同月十五日大和銀行銀座支店に依頼して東京手形交換所を通じて被告銀行日比谷支店に呈示したところ、右小切手の振出人署名は荘R. C. Tsongとあつたので窓口当座係員は右署名に該当する当座預金口座索引及び見出を検出したが発見できなかつたので、取引口座なしと信じ当時の支店長代理小倉正平にその旨報告したため、右小切手に同人名義の取引なしとの支払拒絶文言を付して交換所を経由し右小切手を大和銀行銀座支店に返還した。翌日原告が被告銀行日比谷支店に出頭し前記小切手の不渡理由につき尋ねられたので係員が調査したところ、原告の署名カードの索引及び見出は原告の英字名Tsong Nal Chungとなつていて、右小切手の署名と異なるので、右支払拒絶は被告銀行の手違いであることが判明した。そこで小倉はその旨を述べて右手違いを陳謝したところ、原告は小切手の渡先である佐藤商事株式会社及び特出銀行である大和銀行銀座支店に対し充分説明してほしいというので、その前でその旨同会社及び同銀行に電話で報告し、手違いを詑びると共に同銀行に対しては不渡報告の手続をしないよう依頼し、各その諒解を得、更にその後小倉は右各会社銀行に出向いて謝罪した。その結果原告は右事情を知り、右小切手を買戻したので、持出銀行たる大和銀行銀座支店においても被告銀行日比谷支店でも、東京手形交換所規則所定の届出をなさず、同交換所においても不渡処置をしなかつたことが認められる。

以上の認定事実からすれば、被告銀行日比谷支店員の支払拒絶行為は、たとえ前記のように右小切手の署名と当座預金口座索引及び見出の署名とに多少の相違があつたという事情が存するにせよ、今一段の調査を遂げれば原告が被告銀行日比谷支店に当座預金を有することは当然知り得べきところであるに拘らず、原告の注意により初めて右事実を知つたことが窺われ、右は被告銀行員の過失というほかはなく、被告銀行の支払拒絶により原告はその名誉信用を害せられたことは当然であり、被告銀行はその被用者の不法行為につき生じた結果に対し責任があるものと認めるのを相当とする。被告は、本件については昭和三十三年五月十六日原被告間に和解が成立し、原告は損害賠償請求権を放棄した旨主張するけれども、これを認めるに足る証拠はない。

よつて更に原告が本訴において求める名誉回復の処分が適当であるか否かについて考えて見るのに、前記認定のように、被告銀行日比谷支店が原告の注意によりその支払拒絶が誤りであることを発見するや、被告銀行日比谷支店長代理小倉正平は原告に謝罪すると共に直ちに小切手の所持人である佐藤商事株式会社にその旨を説明しその諒解を得、一方右持出銀行たる大和銀行銀座支店にも連絡したため東京手形交換所規則所定の銀行取引停止処分もなされなかつたこと、原告と佐藤商事株式会社との取引は右事件のため何ら影響なく以前と同様に継続され、原告の右支払拒絶により蒙つた名誉信用に対する損害はその程度範囲において軽微に食止めることができたのであつて、これを被告の本件謝罪広告をなすことにより蒙るべき損害等と比較考えて見れば、原告の被告に対する謝罪広告を求める必要性は乏しいものといわざるを得ない。よつて、この点からして原告の本訴請求は理由がない。

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